| アルバムレビュー日本フォノグラム編
各アルバムの曲目でリンクの張ってあるものはサンプルがきけます。 (再生にはReal Playerが必要です) |
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| フィーリング・ナウ | ||||||
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| 待望のデビューアルバムです。世の中は演歌とアイドルとそれ以外の、まさに歌謡曲というジャンルにくくられていました。洋楽はめざましく、色んなタイプのジャンルから続々と名曲、アーティストが出だした頃です。洋楽コピーを主体にバンド活動をしてきたのでオリジナルはもちろん、日本語の歌詞で歌うのは初めての事。ちょっと抵抗があったのは事実です。私の理想は日本の音楽状況にはまる‘歌謡曲’ではなく、洋楽に近い‘ポップス・シンガー’でありたかったのです。で、その頃では珍しいカバー曲が半分以上と言うアルバムがデビュー盤となりました。プロデューサーの本城さんは、業界に向けて先ずは大橋純子という歌手のアピールをしようと考えたようです。お陰で私はその頃の名曲を歌う事ができて大満足でした。もしもこれが最初で最後のアルバムになっても悔いはないと・・・。
Junko
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| フィーリング・ナウ/大橋純子
FX-8067 (日本フォノグラム) 1974年6月リリース |
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| PAPER MOON | ||||||
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| デビュー盤リリース半年後、すぐに2nd アルバムの制作に入りました。洋楽カバー7割の一枚目と正反対に全曲オリジナルというコンセプトです。このアルバムで作詞家 竜 真知子さんがデビュー、ミュージシャンは歴代(今も)第一線で活躍している名だたる顔ぶれのオン・パレード。何と!、ゴージャスなアルバムでしょうか。作家陣には有望な若手を起用し、なぜか寺尾聡さんが作詞家として登場しています。またジャケットも偶然のたまものではありましたが話題になりました。作詞もしてくれたMarciと彼女の友達のカメラマン飯田安国さんと3人で撮影がてら鎌倉へ行きました。いくつかカットをおさえ、夕方小雨の中で海をバックに最後のカットを撮り終えました。この陰影とバックの海がいきて、暮れて行く一瞬を押さえたまさに、マジックの一カットです。化粧品のポスターのようだと大絶賛されたんですから。このリリースと前後してバンド結成に向け始動し始めました。いよいよ美乃家セントラルステーションの登場になります。結成後はライブハウスや学園祭など積極的に活動し、徐々に大学生を中心に音楽好きの若者に指示されていきました。初代学園祭の女王という栄冠をいただいたのよ、こうみえて。
Junko
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| PAPER MOON/大橋純子
S-7032 (日本フォノグラム) 1976年5月リリース |
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| RAINBOW | ||||||
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| 「大橋純子& 美乃家セントラル・ステイション」としての活動が浸透し、世の中に認知され出した頃。暇さえあればリハーサルをしていました。カバー曲を増やすこと、その合間にマー坊(土屋昌巳)が積極的にオリジナルを書いて来て練習、まとまったら次のライブでやってみる。徐々にバック・バンドからバンドそのものの存在までもアピールしだしました。インストものや歌ものなどマー坊の過激な色が加わって個性がより際立ち、他と差別化されるようになりました。次のアルバムの制作には是非バンドでレコーディングしたいと申し出たのは当然の成りゆきでした。念願のバンドを持ち、次にバンドでレコーディングする事。私の理想が現実になって行く絶頂の時でした。こんなメンバーが私の周りにいる事が誇りでしたから。レコーディングは全員リキが入りましたよ。今と違って(打ち込みではなく)ナマでのバンド録音ですから絶対!他とは違うものを・・・という気迫がこもりました。後で聴いてみたらこのアルバムだけ空気感が違うのです。‘いきおい’があるんですよ。これ以上早いテンポで演奏が出来ない、っていう奇跡的な(?)曲もありましたしね。このアルバムを引っさげて「東京音楽祭」に殴り込みをかけ、「シンプル・ラブ」で見事「大橋純子&
美乃家セントラル・ステイション」は全国区に躍り出ました。
Junko
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| RAINBOW/大橋純子& 美乃家セントラル・ステイション
S-7007 (日本フォノグラム) 1977年4月リリース |
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| CRYSTAL CITY | ||||||
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| 「東京音楽祭」で全国区に名を売った私達は学園祭などでステージ活動が大忙しの中、次の制作に入りました。もちろん前作に引き続き「大橋純子& 美乃家セントラル・ステイション」での2作目です。作家陣も同じく佐藤、土屋、そして前作でも提供してくれた仲間の増尾さん、林さん。作詞家陣も同じ顔ぶれ。松本隆さん、竜 真知子さん、そして私も前作より作詞をし始めました。スタッフもそっくり前作「RAINBOW」からの続きです。皆でレコーディングするのはニ度目になり少し余裕が出て来ました。しかし美乃家自体ではメンバーの移動があり空気は少し違って来ていました。若い時にありがちの理想が高過ぎる事、(美乃家セントラル・ステイションの)名前の由来でもあった要のべーシストが大学卒業のため、という事情で抜けたことが要因でした。何とか制作は切り抜け、ステージもこなし、しかしここでもう一度バンドを建て直さなけば・・・と多忙の中試行錯誤をくり返しました。人の組み合わせと輪(和)がいかにバンドにとって大事であるか、それぞれの音楽センスと信頼、このいいバランスを保ち続ける事がバンド存続の必須条件であると思い知りました。好みも、向かう方向も、理想も違う訳でおまけに若いのですからひとつの道に向かわせるのは至難のわざかも知れません。でもこのいい状態に何とかもう一段登り、バンドとしての安定を計ることに奔走しました。ツアー・スケジュールが目の前に迫っていましたから。
Junko
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CRYSTAL CITY/大橋純子& 美乃家セントラル・ステイション
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| スペシャル・ブレンド・アルバム | ||||||
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| バンドでのレコーディングそしてツアーと大忙しの中、CMソングや企業の歌、ドラマの主題歌など歌って来た曲がありました。中でも資生堂のCMソングだった「私今日はとてもがんこです」は一年以上も前(もしかしたらまだ無名に近い頃)にオン・エアされたものでしたが、ずいぶん問い合わせが多かったらしいのです。何とかレコード化出来ないものかと説得されたのですが、急にレコーディングだ、ツアーだと忙しくなったのでそれどころではありません。もともとCMソングですからサビの部分しかありませんでしたしね。幻の曲になりつつありました。欲がないと言うか・・・今になってみたらCMタイアップの元祖だったかも?。これをふまえて資生堂は次のCMソングを初めからレコード化することを条件に入れました。思惑通りヒットしたのが尾崎亜美の「マイ・ピュアレディー」です。思えば『化粧品のCMソング=ヒット』の図式はこれが始まりだったんじゃないの?!。ライブでも知る人ぞ知るって感じで、時々このCMのリクエストがあったりして。それじゃあオリジナル・アルバムには入ってない、叉はレコード化してない、シングル盤しかないetc.の曲を集めてアルバムを作ろうということになり、このアルバムが出来たのでした。2年近くもたってからのことです。返す返すも惜しい事をしました!。あの時何で、資生堂のCMソングをシングルで出さなかったのでしょうか・・・?。
Junko
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| スペシャル・ブレンドアルバム/大橋純子
S-7042(日本フォノグラム) 1978年リリース |
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| 沙浪夢 SHALOM | ||||||
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| 「 大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」の3作目(通算5枚目)。クリスタル・シティーのリリースから約半年ですがこの間にメンバーを固め、実質的に「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」が歩き始めました。新しい色も加わってより、ソウルフルなサウンドに向かって行きます。それまでツインギターだったバンド編成からツインキーボードになり、サックスも加わりました。おまけに新メンバーが個性的(小田、後藤)で作風もこれまでの佐藤、土屋とまた違う個性を持っていたので外の作家陣を頼らずに制作できました。これで万全と、活動も意欲的に楽しいステージが始まったのです。ちょうどライブハウスからホールコンサートに切り替わったところで、コンサート・ツアーもこの頃から定期的にやりだしました。‘ニュー・ミュージック’が世の中にすっかり定着したころでしょうか。
Junko
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| 沙浪夢 SHALOM/大橋純子&美乃家セントラル・ステイション S-7052 (日本フォノグラム) 1978年6月リリース |
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| たそがれマイ・ラブ | ||||||
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| デビュー後念願のバンドを作り「大橋純子と美乃家セントラル・ステーション」として、ライブハウスや学園祭など精力的にステージ活動をしている中、企画物の「たそがれマイ・ラブ」が大ヒットとなりました。個人的には複雑な思いがありつつも、レコード会社や事務所のスタッフはこの機を逃すまいと急きょベストアルバムを企画しました。これまでのシングル盤を中心にまとめたのがこのアルバムです。ジャケット写真はステージと東京音楽祭、マジョルカ音楽祭などのスナップをまとめたようです。今となっては懐かしいシーンがちりばめられています。
Junko
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| たそがれマイ・ラブ/大橋純子 S-7069 (日本フォノグラム) 1978年11月リリース |
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| FLUSH | ||||||
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| ステージの合間をぬってレコーディングしているかのように、このあたりは怒濤の如くアルバムをリリースしています。よくもこんなに作れたと思うくらいです。レコード会社の意図が見えるようですね。売れてるうちに出来るだけ売ろうというハラでしょうか。しかしこのアルバムはこれまでとちょっと違って半分だけが私達「美乃家」で、後の半分は筒美京平さんによる共同制作です。これだけ立続けに作っていたら皆もネタ切れになって来て当然。それだけではなく、この前の「たそがれマイ・ラブ」が尾を引いていたのです。それまでと比べてダントツな売り上げをした「たそがれ・・・・」に追いつけ、追い越せというのでしょうか。周りのスタッフはそのタイプのものを要求して来ます。そしてバンドだけには任せておけないという雰囲気が出始めました。それだけではなく、大橋純子はソロ・シンガーの方が売れるのではないか・・・と思ったのかも知れません。そんな雑音をしり目に私はこれまでのファンとそこからのファンの間の板挟みでホントにステージがやりにくかった。私達はこれまで続けて来た音楽性を貫く事を主張し、このアルバムの形となったのでした。筒美先生はヒジョーに大人で、メンバーにアレンジをまかせるなど御配慮して下さったのです。
Junko
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| FLUSH/大橋純子& 美乃家セントラル・ステイション
S-7070 (日本フォノグラム) PHCL-8011 (CD)1978年12月リリース |
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| FULL HOUSE | ||||||
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| 前作の「 FLASH 」で美乃家セントラル・ステイションの第一期が終わり、メンバーが変わる事になりました。良くも悪くも個性の強かった土屋昌巳が抜け、次にドラムの見砂和照が抜ける事になり、私達は全く違う方向で始めようと気持ちを新たにしました。迎えたのはドラムにマーティン・K・ブレイシーとギターに土屋潔(オッサン)です。いみじくも同じ土屋でしたがプレイも性格も全く別人です。新メンバーを加えてより、ソフィスティヶイトされたCity Popをめざし一丸となっていくことを誓いました。美乃家セントラル・ステイション第二期の始まりです。いいバランスでみんな仲が良く、雰囲気は最高でした。早速レコーディングに入るのですが、本来のやり方に戻って私達の手に制作が戻りました。新メンバーの個性を尊重して‘ Funky & Mellow ’なアルバムに仕上げました。レコーディングが終わるや、韓国の「 ソウル世界音楽祭 」に招かれました。私達は「ビューティフル・ミー」を引っさげて乗り込んだのでした。世界13ヶ国のエントリーでグループは私達とテイスト・オブ・ハニーだけ。まさかのグランプリは私にとってもドラマティックな出来事として残っています。
Junko
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| FULL HOUSE/大橋純子&
美乃家セントラル・ステイション S-7086 (日本フォノグラム) PHCL-8012 (CD)1979年6月リリース |
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| Motions & Emotions (Best Album) | ||||||
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| お得なベストアルバムです。この頃は半年に一枚のペースで何かしら出していたようですね。驚きです。アイドル全盛期でもあり、彼等の‘3ヶ月ごと(ワン・クール)に1枚ペース’の影響でしょうか。
Junko
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Motions & Emotions/大橋純子&
美乃家セントラル・ステイション |
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| 美乃家‥‥第二期のメンバーも固まり、安定期に入りました。アルバムリリースそしてコンサート・ツアーと、仕事の流れも定着してきます。マンネリを打破するようにこのアルバムは‘合宿レコーディング’を試みました。メンバー入れ替えの時に合宿リハーサルをやったのですが、これがなかなか効率がいいという事で再度レコーディングにトライしてみたのです。寝食を共にするというのは良くも悪くもお互いがよく見えるものです。このメンバーはホントに仲が良かった。一見バラバラのようで尊重しあってましたから、トラブルもなく、順調に(?)進みました。皆が曲を書き、アレンジし、演奏する。バンド手作りの一枚といえます。ギターのオッサンもいぶし銀の如く。私も積極的に作詞に取り組みました。新しいところでは作詞家に三浦徳子さんを迎えた事。「カナディアン・ララバイ」が某電気メーカーのエア・コンのCMタイアップに決まり、その流れでアルバムに参加して下さいました。全員が密かにこのタイアップに期待したのはいうまでもありません。が・・・・・・・例年にない“冷夏”に見事、夢は消えていったのでした。世の中そう上手くはいかないものですよ。結果バンドレコーディングはこれが最後となりました。
Junko
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| HOT LIFE/大橋純子&
美乃家セントラル・ステイション S-7100(日本フォノグラム) PHCL-8063 (CD)1980年4月リリース |
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| Tea For Tears | ||||||
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| ほぼ一年あいての制作になります。ひょっとしたらピークは過ぎていたのです。物事ずーっと登り続ける訳もなく、徐々に落ちついて安定に入ってました。時間にも余裕が出て来て皆、外に向けて活動し始めました。もともとメンバーは十分力量があったのですから放っとく訳がありません。佐藤も作家に専業するといい、それぞれが他のアーティストにかかわりだしました。じゃ、ここで一度解散しようということになり、あっさり解散に至りました。皆悔いを残さないようにやるだけやろう、という前向きな解散でした。このアルバムは久々に萩田光雄さんをアレンジャーに迎えてスタジオ・ミュージシャンによるレコーディングとなりました。私もソロ・シンガーとして新たなる出発をする一枚となった訳です。
Junko
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| Tea For Tears/大橋純子
28PL-12 (日本フォノグラム) PHCL-8064(CD) 1981年5月リリース |
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| MINDS (Best Album) | ||||||
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| これまでの曲にこの一年余りのタイアップの曲を入れたベスト・アルバムです。あのカナディアン・ララバイにもめげず何度かタイアップの曲を歌いました。何となく行き切れずにいた頃、サンリオ出版からのCMソングの話でした。何度もタイアップをはずすのはどうかな‥‥かなり気は重かったです。これが最後、と決めて何とかヒットに結び付けたいと思いました。これまでがあまりにラッキーだったのでしょうか、初めて‘売れたい’と思いましたよ。この数年目立つヒットがなくまわりがジリジリしてきていましたから。今考えると切ないですね。一年後に久々のヒットに恵まれました。
Junko
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| MINDS/大橋純子
28PL-32 (日本フォノグラム) 1982年6月リリース |
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| 黄昏 | ||||||
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| 念願の海外レコーディングが実現しました。主に洋楽を聴き、参考にしてきたのでアチラのミュージシャンには憧れがありました。一度くらいあのバックで私も歌ってみたいものだと。それにエンジニアにも興味があって私の声がどう違うのか聴いてみたかった。約一ヶ月の予定でレコーディング・スケジュールが決まりました。ロス・アンジェルスでのレコーディングに向けて準備をしている中、諦めかけていた‘シルエット・ロマンス’が動き出したというのです。当時TVの歌番組が華やかな頃でした。その歌番組に出る為にレコーディングを途中できりあげろ、という話になってきました。これだけは譲るものか、とロスから中継する事で歩み寄りました。ロスはいい経験になりました。アース・ウインド&ファイアーのアレンジャーとホーン・セクションが参加してくれ、他有名スタジオ・ミュージシャンもすばらしい演奏で参加してくれました。たまたま隣のスタジオにスモーキー・ロビンソンがきてて一緒に写真を撮るなどおまけつき。その次になんと!あのセルジオメンデス&ブラジル’66のシンガー、ラニ・ホールが久々のレコーディングとかで来ました。懐かしいボサノバの名曲にも会う事が出来たのは感動でした。
Junko
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| 黄昏/大橋純子
28PL-38(日本フォノグラム) 1982年6月リリース |
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| MAGICAL | ||||||
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| 基本的にはベスト・アルバムですが、未発表曲も4曲収録されています。もんた君とデュエットした化粧品のCMソング『夏女ソニア』のカップリング曲としての『恋はマジック』。クラリオンのCMソングとして発表された『 A LOVE AFFAIR 』、カップリングに『 I LOVE YOU SO 』。その後に単発シングルでリリースされた『 LOST LOVE 〜愛の踊り場〜』がそうです。 ディスコグラフィ−最後のアルバムとして旭川の先生や、やまけんさんやいろんな方々に探してもらうなどお手数をかけました。なんと!、私がニューヨーク時代にお世話になった「井田家」にあったではありませんか!。あの6/27日のスウィート・ベイジルでのライブで私の手元に戻りました。この日のメインは言わずと知れた『微笑むための勇気』でしたが、それが熱い感動の中で終わりアンコールの場面でこのマジカルを手渡されました。一瞬私の中で衝撃が走りました。ジャケットにはあの、ニューヨークのツインタワー・ビルがくっきりと映っているではありませんか。『微笑むための勇気』こそ、あの自爆テロ事件へ向けてのメッセージをこめた曲であり、私の人生のターニング・ポイントとなったニューヨークへの応援歌でもあるのです。奇遇にも大好きな街ニューヨークのあの頃の風景がそのままに、このアルバムのジャケットとなっています。二度と見れない風景が・・・です。 Junko
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| MAGICAL/大橋純子
28PL-79(日本フォノグラム) 1983年7月リリース |
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| POINT ZERO | ||||||
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| ロス・レコーディングでますます海外に魅了され、どうしてもニューヨークに行きたい気持ちが募ってきました。昔からN・Yには特別な思いがあり、一度は行きたい、出来れば住みたいとまで思っていましたからロスのあとはもう、N・Y しかないと決めていました。何とか周りを説得してN・Yレコーディングを獲得しました。佐藤の知り合いから中村照夫さんを紹介してもらい、プロデュースとコーディネートをお願いしました。
佐藤、中村二人のプロデュースで私は念願のN・Y でスタジオに通う生活が始まったのです。住まいは中村さんの手配でダウンタウンのロフトをサブレットしました。8月だったのでここの住人が夏休みをとっている間お借りしたのです。その人は画家でロフトは信じられないくらい広く、大きな油絵がいくつも立て掛けてありました。そう、映画「ゴースト」のデミ・ムーアの部屋の感じ。佐藤とふたり、大いにニューヨークを満喫しました。レコーディングはまたゴージャスでミュージシャンは気さくでホットな人達ばかり。中村さんのお陰でうれしいハプニングが続出の記念に残るレコーディングとなりました。佐藤と組んで曲とアレンジ、プレイをしてくれたMark Gray。ユニークで才能溢れる彼は残念な事に数年前に亡くなりました。色んなミュージシャンがスタジオに遊びに来ました。‘スペースマン’と呼ばれていた黒人の彼はリズムのアイディアとその頃ではまだ珍しいラップを入れてくれました。全てが手作りのようにアイディアを出し合い、変えて行く作業は新鮮でした。サックスのソロを入れたいね、というとその時いたドラムのバディ・ウィリアムスが「明日デヴィットに会うから言っとくよ」って。翌々日憧れのデヴィット・サンボーンがエビアンを手に現れてびっくりしたの、何の。さすがに!すばらしいソロを吹いて帰りました。この時の出来事は沢山ありすぎて別の機会にお話したいとおもいます。このアルバムは私の宝です。つたない私の歌も含めて大切な一枚と言えます。このアルバムを最後に私は歌手を休業し、ニューヨークにひとり行く事になるのです。 Junko
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| POINT ZERO/大橋純子
28PL-61 (日本フォノグラム) 1983年7月リリース |
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| 『JUNKO OHASHI 』SPECIAL LOVE VERSION | ||||||
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| 45回転の30センチシングル。当時ディスコは洋楽と限られていたにもかかわらず、六本木のディスコで唯一日本語の歌がかかったと評判になりました。シンプル・ラブです。「東京音楽祭」後のホットなニュースでした。レコード会社の粋な計らいでお店用に特別に作りました。今で言うところのリミックス・ヴァージョンといえるかも。歌詞は英訳し、曲も編集して長くしました。あまり見ない珍品ですね。
Junko
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| 『JUNKO OHASHI 』SPECIAL
LOVE VERSION/大橋純子 SNP-74(日本フォノグラム) 1978年1月リリース |
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再生にはReal Playerが必要です。 |
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